村越 真 biography

 

 

50年前、一人の地図好きの少年が、地図とコンパスを手に、武蔵野の外れにある里山に脚を踏み入れた。 オリエンテーリングから、さらに広い世界へと開かれていく50年の軌跡

1960

静岡市音羽町に生まれる(父が南極観測のため留守で、母親の実家)

 

1967

横浜市で小学校に入学(南小学校)。1年時から地図作成には非凡な才能を発揮し、粘土や教材の地形模型を作成。5年生からは地形図をもとにした全自作の模型を作る

 

1971

東久留米に引っ越し。その後、オリエンテーリングに出会う伏線となる

 

1973

学芸大学附属大泉中学校に入学。西武線のPRでオリエンテーリングというスポーツがあることを知る。祖母のお供で訪れた北九州でたまたまパーマネントコースのポストを見つけ、機会があれば始めたいと考える(当時はテニス部に所属で休日があまりなかった)

 

1974

4月29日、誕生祝いにコンパスを買ってもらい、仏子コースを一人で回る。約2時間50分。1番で50分費やす

8月、東京OLCのサマーOLに参加。スイスのシドラー氏、鈴木規弘氏や宇野浩一氏と出会い、のちに交友が広がるきっかけとなる

 

1975

2月14日、第一回全日本H14B(Aクラスはなかった)で優勝

初めての地図を作る(原図がないため、測量による作成)

10月、受験生ながら東京OLCのサンバード大会に参加。この前後で進学するはずの高校の先輩であることが分かった安藤尚一氏のお宅に帰りによって、鈴木氏、高尾氏となべやきうどんをたべながら、安藤さんがこの夏派遣されたO-ringenのスライドを見て、北欧への憧れを募らせる

 

1976

八国山で本格的なO-mapを作成(謄写版3色刷り)。25人程度を集めた大会を開催

学芸大学附属高校に入学。引き続き軟式テニス部に所属

11月。千葉の東日本で痛恨のミス。その時の振り返りからアナリシスとオリエンテーリングに開眼。翌週のみちの会大会から受験で競技を中断するまでの1978年4月までの負け無し。その間には1977年みちの会大会での最上位クラス(H21A?)の優勝も含む

 

1978

4月。グリズリー大会に出場。その後受験のため中断

 

1979

3月。全日本エリートクラスに初出場。小田原風祭のテレインに打ちのめされ5位

4月。東京大学理科Ⅰ類に進学

 

1980

3月。全日本エリートクラスで初優勝(山梨県鳴沢村)

6月28~。約一月半のヨーロッパ初遠征。スイス5日間H19A8位、オーリンゲンH19A8位

 

1981

3月。全日本2連覇。

8月、スイスにて初のWOC出場

 

1982

スイスの元コーチエリック・ハンゼルマンを迎え、合宿開催。右はシドラ氏

 

1983

東京大学大学院に進学

8月。ハンガリー世界選手権。ロングは初の予選方式で、予選通過

 

1985

筑波大学大学院入学。スポーツ心理学を専攻。

8月。オーストラリア世界選手権にてリレー開眼

 

1987

筑波大学大学院博士課程入学(心理学専攻)

 

1988

静岡大学の奉職する。同大OLCのコーチもスタート

 

1990

静大OLC、平山寿美子女子2位、佐藤尚子女子4位を獲得、女子リレー4位

9月。ワールドカップスイス・フランスラウンドで1ポイント獲得

 

1993

静大OLC,金田収子女子3位、中野宏美女子6位、女子リレー3位

 

1995

矢板の全日本にて鹿島田浩二に敗れる。15連覇でストップ

 

1996

3月北富士の全日本にて初のV奪還

エルサレムにて開催されるIOF総会に日本代表として出席。この時築いた人脈、IOF総会での活動の仕方が、その後のWOC招致にもつながる

 

1997

ノルウェーにて世界選手権。ショート、ロング両方で予選通過。ともに45位

 

1998

IOFの五輪プロジェクトメンバーに選任される

 

1999

9月。右足首骨折。初の重大負傷。6週間のギプス生活

 

2000

3月全日本で優勝。計20勝となる

4月。ワールドカップ日本大会にてナショナルコントローラとして活動。大会を成功に導く

オーストリアライプニッツにて、IOF総会でWOC招致。スウェーデン、ハンガリーをやぶり開催権獲得。同総会でIOF理事就任

 

2001

3月。全日本で松澤俊行に破れる

2月初めての出版物として「道迷い遭難を防ぐ最新読図術」を上梓、好評を博す

フィンランドでの世界選手権。IOF理事として初の予選通過

秋田にてワールドゲームズ開催。ナショナルコントローラとして大会を無事開催

 

2002

3月全日本にて二度目のV奪還なる

 

2003

2冊目の著書となる「子どもたちには危険がいっぱい」を上梓。リスク研究への足がかりとする

3月全日本にて優勝。通算22勝

 

2004

全日本にて山口大助に敗れる。3連覇ならず

初めてアドベンチャーレースに出場(田島利佳とともに。王滝村にて)

 

2005

アジア初開催のWOCにて、テクニカルディレクターを務め、神がかり的な幸運で大会成功に大きく貢献

 

2006

国立登山研修所にて、日本を代表するガイド・講師を対象に読図・ナヴィゲーション研修を実施

デンマークのWOCに出場(通算13回出場.最後のWOC出場)

 

2009

ヨーロッパ外初となるスキーOの世界選手権で副テクニカルディレクターを務める

 

2010

ニュージーランドで開催された世界ロゲイニング選手権に参加(田島利佳)

 

2013

静岡大学教育学部附属静岡小学校校長を拝命(~2016.3)

 

 

2014

2月。初めての古地図ツアーを実施(東京都城南地区)

静岡県川根町にてNI制度のスタートとなる研修会を実施。

10月、長年の憧れだったOMMに参加(田島利佳)

 

2015

スコットランドにNNASを視察、イギリス登山研修所でも研修に参加

 

2017

第59次南極観測隊に同行者として参加

 

2019

第61次南極観測隊越冬隊員を目指すも健康診断により不可。代理で宮内佐季子を派遣

 

2020

還暦を記念した武蔵野湧水巡り60をスタート

 

2024

4月29日、オリエンテーリング生活50年。