Shin Murakoshi オリエンテーリング・キャリア50周年記念事業
50年前、一人の地図好きの少年が、地図とコンパスを手に、武蔵野の外れにある里山に脚を踏み入れた。
オリエンテーリングから、さらに広い世界へと開かれていく50年の軌跡
飯能マウンテンオリエンテーリング出場の皆様、参加ありがとうございました。また、1年にわたる私のオリエンテーリングキャリア50周年記念のイベント(23年9月30日:武蔵野の奇跡ツアー、24年3月16日:いざ鎌倉ツアー、同4月29日:城南古地図ロゲイニング)に参加いただいた方にも御礼申し上げます。
歳をとると、こうした「冠婚葬祭行事」の重要性を熟々感じるようになります。もちろん、これらのツアーは私の50年にわたるオリエンテーリングキャリアの思い出の地ばかりであり、その意味で私のノスタルジックな思いによりスタートしたものです。一方で、この半世紀は日本においてオリエンテーリングの普及が軌道に乗り、現在へと発展する時代とも重なっています。従って、半世紀にわたる日本のオリエンテーリング、特に初期における開拓者たちの努力や情熱を掘り起こすことも心がけました。特に今回の「Road to the Champion」は、オリエンテーリングがまさに競技的に発展しはじめた時期に使われたテレインを利用しています。当時の地図作製者たち(佐藤綱一氏、安藤尚一氏、山岸倫也氏ら)の情熱と技術力を皆様に伝えることも意図しました。
結果として皆さんにも、その幾ばくかは伝わったことは嬉しく思います。また、私たち自身、これらの使い慣れた里山に新たな使い方と楽しみを見つけ出したイベントともなりました。それは、ある意味オリエンテーリングの「シン・ゴジラ」的な見直しとも言えるものです。
このイベントが、皆様にとっても次の半世紀への羅針盤となることを期待して、御礼の言葉と致します。
2024.10.6 1年にわたる50周年オリエンテーリングキャリア記念事業を終えて New!!
2024.9.27 村越真バイオグラフィ New!!
2024.7.29 最終回:10/5(土)飯能マウンテンオリエンテーリング
2024.2.6 2/7 第3回「スキルアップを支援する:コーチとしての40年」オンライントークの詳細はこちらから
2024.1.16 4/29 古地図でロゲイニング:東京アーバーンアドベンチャー2024~城南の空の下で~の詳細を掲載しました
2024.1.15 3/16(sat)古地図ランツアーの詳細を掲載しました
2023.7.30 フォトアルバムを動画にまとめました。https://youtu.be/GVQz2VZG6fw
2024.3.19 村越真、マッピングとイベントプロデュースの仕事
村越の地図づくりとイベントプロデュースの仕事を追いながら、走るだけでないオリエンテーリングの魅力に迫る。
【終了】 村越真、アウトドア界への挑戦
1990年代後半、オリエンテーリングの地図読み技術は登山にも活用できると閃いた。そこから登山・アウトドア界に大きな橋頭堡を築くまでの軌跡から、オリエンテーリングの今後への指針を提供する。
【終了】. 番外編:古地図ナヴィゲーションの世界
2014年以来取り組んでいる古地図ナヴィゲーションの魅力と意義をお伝えする。
==
【終了】2024.2.7 村越真、スキルアップを支援する:コーチとしての40年
スキルをどう高めるかはスポーツの要。強化だけでなく普及の鍵もそこにある。トップ選手としての技術探求を、コーチングやナヴィゲーションスキル指導に生かしてきた軌跡から、技術との付き合い方を展望
【終了】2023.9.22(fri) 21:00~ 村越真、オリエンテーリングとともに50年
村越がオリエンテーリングとともに歩んだ50年は、日本のオリエンテーリング発展の歴史でもあった。村越のプライベートヒストリーから解き明かす、オリエンテーリング発展の50年。
【終了】2023.12.6(wed) 21:00~ 村越真、ナヴィゲーションの深淵へ
2023.9.30
2024.3.16
2024.4.29
城南の空の下で:世田谷で古地図ロゲイニング4時間(イベント)
2024.10.5
チャンピオンへの道:飯能でマウンテンオリエンテーリング(イベント)
横浜市南区に在住。在学の南小学校から自宅までの道のりを社会科?で描かされた。自分でよくかけた自覚はない。
小5の時東久留米への運命の引っ越し(父親の勤務先が板橋のため、横浜からは通いづらかったため。駅の裏に親友宅があり、古い農家の敷地で大きなけやきの生えた屋敷林だった。入り口から奥を覗くと、中央は窪地で左側の斜面に居宅が張り出している。親友が40代で急逝した時にも、そのことは思い出さなかったし、地理院地図で東久留米駅の北側に補助曲線の澤を見ても何も思わなかったが、湧水巡りで「駅裏になんか凹んだところあるよな」と思って進んでいき、この弁天池を見た瞬間、奴の家の窪地の奥にこの弁天池があったのだ、と気づいた。
小学校2年の時には粘土で日本の地形模型、小4の時には教材屋でうっていた有度山の地形模型をねだったかってもらい作った。多分それで味を占めたのだろう。小5の夏休みの宿題工作が丹沢の地形模型だった。水平:垂直の1:1にこだわり、計曲線を2mm厚のボール紙で作成した。当然普通の刃物で切れるわけがなく、金工用イトノコで夏休みずっとかけて作成
1974年の東日本大会でのO-mapを見た時の感動は今も忘れられない。しかしその半年後の全日本の地図の繊細さにはさらに驚いた。いずれもこの佐藤綱一さんの手によるもの。もちろん、O-cadなどなく、ペン作図である(さすがに烏口ではない)。JOA50周年にお招きしたときの様子。その時の彼のコメント「(その前年にスウェーデンの技術チームがきて佐賀で見本のO-mapを作成したのを見て)私たちならもっといいものができる」しびれる!地図は画像あり
中学校2年の終わりに自宅そばで測量から行って地図を作成。通行可能度も入っている。友人4人を呼んでミニ大会を実施
初めての地図作成場所。武蔵野鉄道引き込み線廃線の★の北東側
中学校3年の終わりに東京と埼玉の県境の八国山周辺でOmapを作成。写真の場所は今は住宅だが、八国山麓で、久米川の古戦場の場所。当時草原だったここを会場にした。
中学校3年時に作成した初の本格的O-map。3色刷りは謄写版印刷によるもの
はじめての欧州遠征H19Aながら総合8位
オリエンテーリングを始めて以来、憧れの舞台だったWOCに立つ。途中の6分の大きなミスをしながらも、当時の日本人としては上出来の46位。
まだ世界選手権も牧歌的だった。選手村の国旗掲揚の穴掘りが全然はかどらないのを見て、各国総出で手伝った。
写真は1997年のもの。大島での地図作成はそれまでの日本の地図作成レベルをharukaに超えており、これで世界のどこでも地図調査で食べていけると本気で思った。
ハンゼルマン氏はかつてスイスチームのコーチも務めた国立体育大学の教授。中学校時代からの友人であるオーガスト・シドラー氏と佐藤綱一氏の仲介で日本にコーチングに来てくれ、多くを学んだ。翌年1983年にはスイスの体育学校(マクリンゲン)でのトレーニングキャンプの提供もしてくれた
世界選手権3回目、1走として11位で戻ってきた。世界の上位集団についていけるし、ついていきながら自分のナヴィゲーションもできていた。「開眼」のレース。
1988年に静岡大学に赴任。その歳から学生のコーチングもスタート。静大OLCもこのころは元気だったし、部員も多く、1992年には女子部員が6名入部。金田収子(左)と中野宏美(右)は2年生ながら3位と6位に入賞。
1997年ノルウェーでの世界選手権に向けて、1996年は2回ノルウェーに遠征。一回目の夏はペター・トールセンの言葉に従い、ノルウェー最高峰、ガルドホーピゲンを目指す
ノルウェーでは、ショート、ロングとも予選通過、45位(ともに)という成績を残すことができた。体力的には下り坂ではあったが、技術的な仕上がり、ノルウェーへの親近感がもたらした成果だろう。
国際大会の運営に脚をどっぷりつけていた~2010年の10年間のスタート。2005年のWOCの招致演説。与えられた時間10分の中で、トップの中島さん(写真右)は4分の約束を6分以上掛かってしまった。中継ぎの間、原稿の手直しをしながら、10分13秒でスピーチを終えた。結果はスウェーデン、ハンガリーをそれぞれ9票に押さえ、19票の薄氷を踏む思い出の招致成功
IOF理事の肩書きで唯一(?)の世界選手権決勝ランナーとなる。
スイスのWOCの前にノルウェーのマスターズに参加。体調不良で、成績は芳しくなかったが、旧友たちとの時間を楽しむ、左隣は杉山隆司氏
田島利佳に誘われ、初のアドベンチャーレース
研究テーマである方向感覚で「試してガッテン」に出演。右は小野アナウンサー。事前の打ち合わせを間違えて進行してしまい、しょんぼりしている
WOCではテクニカルディレクターを務めた。自分が初めて参加したスイスのWOCをイメージしながら、いかに牧歌的にやるかを腹に秘めながらのテクニカルミーティング。ミドルで優勝したシモーネにはスイカを進呈。いくつかの致命的になりかねないミスもあったが、神がかり的な幸運で乗り切る。
半分受け狙いでリレーの最終コントロールを木彫のリトルマーメイド(翌年のデンマークを意識)にしたら、フレミング(デンマークの実行委員長)がいたく気に入って、「WOCの歴史のバーチャルな象徴にしたい」といって、なんとシッピングする羽目に。この人魚像は、ほんとうにデンマークのWOCの最終コントロールに「人工特徴物」として使われた。製作依頼者は山川氏。紹介の木札に「I am little marmaid, but buddist.というのが笑える。
読図本の出版、遭難研究以後、登山界の仕事も増えた。特に日本のナショナルトレーニングセンターとも言うべき国立登山研修所から講師要請されたのは、自分が積み重ねてきたものがその世界で認められたことでもあり、正直に嬉しかった。しかも、日本を代表する登山家、プロガイドが自分の提供するナヴィゲーション技術を受け入れてくれたことは、その後の活動の大きな自信となった。
IOFのEAクリニックにいった時、主催の中国連盟からもらった記念品がしゃれていた。トラディショナルな「指南盤」。
IOFのEAクリニックの講習風景
ロゲイニング世界選手権に田島利佳と初参加。夜のナヴィゲーションの魅力に改めて開眼。
体力的にはどん底の状態での参加
日本の中高生3人を連れて香港の合宿に参加。一番右の稲森はその後大学生で活躍したことは周知のとおり。
雑誌記事執筆その他で東京の地形巡りをしているうちに、「これ古地図(迅速測図)でめぐったら面白いのでは・・・と閃いて、実施。最初は「何、それ?」と思っていた参加者が、次第に「読めますね」「分かりますね」となっていくプロセスが面白い。
現在のNIの原点。登山界の中堅を招いたナヴィゲーションスキルの虎の穴。
NIの仕組みを取材に本場スコットランドのNational Navigation Award Schemaを取材
田島利佳と5回目の世界選手権。夜間の甘さでほろ苦い結果に。
2010年来ターゲットにしていた南極観測への参加を実現
この年からスタートした登山研修所のサテライトセミナーにも講師として参加
NI(ナヴィゲーション・インストラクター)事業は、アウトドアナヴィゲーションにおけるオリエンテーリングを不動の地位にすることに貢献。熱意ある受講者には毎回刺激を受ける。
大学時代のOLKの顧問だった元東大の岡部先生ともひょんなことから再会
2020年は、コロナ禍で活動できない分、オンライン講習という新たな領域を切り拓くが、リスクマネジメント講習や読図講習におけるオンラインの相性の良さを痛感
2020年からは南極にいけなかった代わりの還暦プロジェクトとして武蔵野湧水60巡りを実施。コロナ禍においては、地図やウェブから知った地域の歴史と湧水とのつながりに心を癒やし、また仲間たちの活動の場を維持したというささやかな自負を持った。
ここは八ヶ岳山麓か、それとも・・・かつて暮らした東京と埼玉の都市部にこんな湧水があったとは。コロナ禍のマイクロツーリズム。
城南地区の「地霊(ゲニウス・ロキ)」を感じさせるコースを提供
ちょうど東久留米に暮らしたころ、少年チャンピオンにはブラックジャックが連載されていた。当時は知らなかったが、手塚先生は当時東久留米に住んでいたらしい。湧水巡りで訪れ、偶然の巡り合わせにびっくり。
母校の中学校から5分くらいのところに牧野庭園があったのは知っていたが、卒業後約50年にして初めて訪れた。
日本一のトレラン大会の安全を守るチームの面々。アウトドアの安全のためにはやるべきこと、やらねばならないことはまだまだ多い