News

イベント当日までのさまざまなできごとなどをお知らせします。


2019.8.6 「夢」をかなえる人 村越真                  後閑 茂弘

 

ちょっと安っぽいクレジットカードのCMコピーのようですが、間違いなく私が彼に抱いている思いです。

オリエンテーリングというスポーツに出会い、同じ「夢」を抱いて森を駆け抜けていた仲間として、彼の最も大きな「夢」のひとつが今実現しようとしているこの時に、彼の応援イベントにご指名いただいたということは大きな光栄です。このような機会をオファーしてくださったTEAM阿闍梨の皆さん、ありがとうございます。

 

彼とほぼ同時期に、高校・大学受験勉強を放っぽりだしてスポーツとしてのオリエンテーリングにのめり込んだ私と彼との接点の数々は彼の紹介文のとおりですが、実は彼の母校である某国立大学付属高校をひょんなことから受験しているのです。準備を全くしていない記念受験でしたので、あっさり不合格でしたが(^_^; もしかしたら後輩として彼を迎え入れていたのかもしれませんし、何かが変わっていたかもしれません... 

「たられば」ですが(^_^;

 

その後、私は浦和高校に進学し、現在でも続く浦高オリエンテーリング同好会を発足。いつかは北欧の森を駆け抜けたいという夢を追いつつ、宮沢湖や東松山の藪と格闘していました。そんな時代の杉山さんのご自宅での彼との語らいや彼のお祖母さんの湘南平の家での合宿、さらにはスイスでの1980年世界学生選手権への参加などそのどれもが、私の青春のキラキラとした1ページであることは間違いありません。

 

社会人になってからは、ロードレースにのめり込み、年間50レース以上参加していました(もっとも、そのころは「後閑さんの旦那さん」というほうが通りが良かったみたいですが)。オリエンテーリングは年に数回は走るものの、全日本大会にも参加しない年もあるくらいでした。

 

その間に彼は、選手としては全日本選手権を連戦連破、さらには大会のオーガナイザーとしても数々の国際大会の日本開催を実現させるなど、次々と「夢」を実現していったのはご存知の通り。オリエンティアの端くれと自認している私としては、その活躍を頼もしくも、羨ましく見ていたというのが事実です。

 

そんなときに清水潔さんの横浜シティロゲインにたまたま参加して、こういう楽しみ方もあるのだなあと思い、清水さんの「森を走ろう」を参考に見様見真似で第一回世田谷シティロゲインを開催したのが2011年10月。それ以来十数回にも及ぶ世田谷シティロゲインをシリーズ開催してきましたが、シティロゲインでは地図は家と道で埋め尽くされ等高線が全く読めない! 道をつなぐだけで終わってしまい、地図読みの面白さを完全には伝えきれていないと感じていました。

 

なんとかならないかなあと思っていたところ、ネットの発達もあり古い地図画像を入手できること分かり、以前からその魅力を感じていた明治時代の地図によるシティロゲインを2014年4月に「ロゲイン多摩川今昔物語」として開催。彼がエントリーしてくれたのがとても嬉しかったのと同時に身が引きしまる思いだったことを覚えています。

 

今回のイベントでは、彼の「夢」の実現を祝う意味も込めて皆さんをうならせるようなコースを現在調査中です。ロゲインと違って、コース取りの妙もあり、プランナーとしても楽しませてもらっています。乞う、ご期待!


2019.8.4 後閑とのなれそめ                       村越 真

2017年度南極滞在中の村越
2017年度南極滞在中の村越
コースプランナーを務める野川のカルガモおとーさんこと後閑氏
コースプランナーを務める野川のカルガモおとーさんこと後閑氏

ニックネームからのどかな雰囲気を連想をさせ、その名の通りの穏やかな顔つきの「野川のカルガモ」さんと、ファンタジスタの異名を取り自分にも周囲にも厳しそうな村越の接点はいったいどこにあるのだ?この二人の競演を知った人はまずそう思うに違いない。そこで二人の驚きの馴れそめを大紹介!

 

 正直に言えば、いつカルガモさんと出会ったかは覚えていない。僕が高校1年、彼が高校2年の時だろう。そのころの高校生は、「自分たちこそが日本で一番強い!」と思っている輩ばかりだった。そしてその自負に負けないだけのオリエンテーリングへの情熱を持っていた。私たちは、第Ⅱ世代だった。第Ⅰ世代には、安藤、高尾、鈴木規弘がいた。高校の時から「三羽がらす」と呼ばれていた彼らに、その1年上の小山、その1年下の山岸倫也を加えた5人は、紛れもなく日本最強だっただろう。僕らの世代は、彼らが大学生としてのびのび活躍する姿を見ることができたのは幸運だった。

 

彼らは自分たちで地図も作り、大会を開いた。地図はそのころの日本で最高の出来であったことは言うまでもない。それに触発された僕らも本格的な大会を開こうということになった。僕はすでに高校1年の夏にトータスというオリエンテーリングクラブで日本初の三日間大会を開催していたが、そこにカルガモさんをはじめとする高校1、2年が加わって大会を開く企画が進んだ。高校生のオリエンテーリング部が珍しいことは今も昔も変わらないが、人数が違う。大きなクラブはなく、個人でやっているものもいた(僕もその一人)。僕らは会場で自然に仲良くなり、競いあった。大会を開くならクラブがいる。僕が当時住んでいたのは横浜、カルガモさんが当時住んでいたのが埼玉、両地域を共通にくくる行政区分としてクラブ名を「武蔵国」とした。

 

特別親しかったという訳でも日常的にやりとりをしたという訳でもない。だいたい当時は、ネットもなければラインもなかった。男子高校生が連絡を取り合う理由など何一つなかった。

 

しかし、その後も僕らは重要な瞬間に接点を持ちつづけた。1977年、僕が高校2年で彼は3年だった。タック杉山がイギリスから一時帰国していたのだ。彼は1976年にスコットランドの世界選手権に唯一の日本人として出場し、26位という好成績を残した。北欧3カ国とスイス、チェコ以外に上位20人に入るのは難しいと言われていた時代である(当時はロング種目しかなかったし、各国4人が出場できた。上記5カ国だけで20位までが埋まる)。26位は、それ以外の国にとって最高とも言える順位だった。彼は日常的に練習をともにするイギリス人全員に勝っている。だが、いくら一人で頑張ってもリレーには出られない。成績の伸びにも限界がある。彼が若い選手達を刺激しようと声をかけて、水戸にある彼の実家に集めた。歴史とはこうやって大きな流れが作られのだろう。それぞれ独立にオリエンテーリングを始めたタックと日本の高校生~大学生たちの出現が数年ずれていれば、その後20年ほどの発展はなかったかもしれない。その時山岸や高尾らが訪れたはずだが、予定が合わなかった僕はその1日前に杉山宅にお邪魔した。その時一緒に滞在したのがカルガモさんだった。

 

昼間はタックとトレーニングし、夜は彼の部屋の床に布団を敷いて、夜が更けるまで彼のアルバムや地図を眺めていた。彼の言葉がなかったら、1980年にあんなに熱い気持ちでヨーロッパ遠征に赴くことはなかっただろう。今思い出しても、夢のような一夜だった。帰りに彼のお母さんが、藁に入った納豆をお土産として持たせてくれた。

 

その1980年、再びカルガモさんと僕の途は交錯した。スイスで開かれた世界学生選手権の7人の代表として一緒にヨーロッパ遠征をしたのだ。スイスからスウェーデンへと列車で旅をし、三々五々分かれた後、ウィーンの駅で僕らは集合して、チェコに向かった。まだ共産圏と言われていたころのチェコだ。オーストリアとの国境で鉄条網に囲われた中立地帯で、入国審査で2時間近く列車が止まっていたのも、今となってはいい思い出だ。

 

その後、僕は唐で悟りを開いて帰国した空海のように、日本のオリエンテーリング界で唯一無二の存在になった。大会では何度も会っていたはずだ。しかし、カルガモさんとの接点も2014まで生まれなかった。

 

2014年、TEAM阿闍梨で練習企画を田島利佳と練っていた時、都会で迅速測図を使えば練習になるというアイデアが閃いた。田島のチャレンジナビゲーションのスペシャル企画として2月に実施することになった。もともと地図も大好きだった僕は、ツアー当日を待つことができず、迅速測図で一人で城南地区を走ってみた。「いける!」地形を頼りにしてコントロール位置を選べば、このエリアなら十分迅速測図でナヴィゲーションができる。

 

しかもただナヴィゲーションするだけじゃない!迅速測図、それはすなわち江戸後期の東京郊外と同じ景観が広がる時代だ。地図から読み取った情報をナヴィゲーションのために現実に投影すると、いつしか頭の中は妄想タイムスリップ。ちょうどこの年の新春に現代と江戸後期をタイムスリップする「仁」が連夜一挙に放送されていた。タイトルロールで映し出される東京の今と過去の写真がノスタルジアを誘う。この番組にはまっていた僕は、迅速測図でナヴィゲーションしながら、江戸期の里山を走っているような錯覚に襲われた。

 

当日は、一応迅速測図と現代の地図を用意したが、「迅速測図だけで行けるはずです!」と力説した。スタートする時の参加者の「まじ!?」という顔、しかし進んでいくにしたがって、「等高線に集中すれば案外行けるんだ!」という気づきを得ていく姿も楽しかった。

 

このツアーを準備していた時、カルガモさんが全く同様の発想で古地図を使ったロゲイニングを企画していることを知った。当日は、予定が合わなくて参加できなかったが、2週間後にリプレイがあると聞いて一も二もなく申し込んだ。会場では「仁」のタイトルロールが流されていた。二人の途は再び交錯した。二人は五十代半ばという同じ時期に同じことを考えいたのだ。

 

 

前回の壮行会、それまで暖めていた古地図でロング・ストレート、東京にいながらにしてできるアドベンチャーを実現した。二度目となる今回は別の事にチャレンジしよう、「村越さん、ぜひ参加してください」という田島に対して、「じゃあ、誰がコース組むの?」その時真っ先に浮かんだのはカルガモさんだった。